同じ勉強をしているのになぜ差がつくのか?

学校や塾に同じように通ってい手も差がつくのはなぜなのか?

「遺伝だ!」とか「頭の構造が違う!」とか「才能だ!」とか言われる人がいますが、それも一理あると思います。ただそれだけではないような気がする事も多々あります。

親せきの男の子がいまして、その子は22歳なのですが某有名大学に通っています。さてその子が小さかった時の思い出なのですが、とある城址見学に連れて行った時のこと、立て看板の説明を真剣にメモを取っている姿でした。当時その男の子は小学校4年生ぐらいだったと思います。

資料でも作るかの勢いでメモを取っているので少しあっけにとられてしまいました。

ここで考えられることは、勉強方法が違うのではないかと思います。

「できる子は、勉強時間以外にも学んでいることが多い」ということです。

1.授業を受けていても学んでない子

2.授業の時だけが学びの子

3.寝ている時間以外すべてが学びの子

①の授業を受けていても学んでない子、この典型的な例は一生懸命ノートに書き写している子です。書記作業にてっしていて、授業を何千時間と受けていても書いていることがほとんどで説明を理解していない。これでは成績は上がることはあり得ません。授業は説明を聞くことが大切です。

②授業を受けている時は、よく説明を聞き、自宅での学習もしている子。これは公立高校ならば比較的上位の成績を取ることができます。

③寝ている時以外がすべて学びの子は街を歩いていても、テレビを見ている時でも、映画を見ている時でもなんでも感じ、考え、自分の意見を持つ習慣を持っています。それによって教養が深まり、考える力が深まり、記述力や小論文といった自己表現力もつくのです。非常に多くのことに気が付き、そこから考えたりするので情報量が上記のタイプとは全く異なります。

③のタイプの子供たちは、「気づく楽しさ」「知る楽しさ」「考える楽しさ」を知っています。

では、どのようにしたら3番のような子に育つのでしょうか?家での環境や親などが少し工夫をすれば徐々に身につくけることができます。

それは、「人と違う意見を発言させる」ということです。

家庭でも、「別の見方ない?」「別の意見ない?」などと通常とは異なることを誘導してあげる必要があるでしょう。このような促しによって、人は自然と「気づき→知り→考える」ようになっていきます。そして出てきた発言内容に対して絶対に否定はいけません。これを習慣にすると、頭の構造が変わってくるとのことです。

現在、文科省では「ディープラーニング」ということを検討しています。

A君は「織田信長」、B君は「豊臣秀吉」、C君は「明智光秀」になって話してみてくれる?このような教育が検討されています。

「本能寺の変♪ 本能寺の変♪ 本能寺の変♪ ほんのーじのへん!♪」と覚えるだけではなく、考える能力を身に着けることが大切です。